2015年4月11日、映画「ローリング」の完成披露試写会が水戸芸術館で開催され、主演の三浦貴大さん、柳英里紗さん、川瀬陽太さん、冨永昌敬監督が登壇し、公開の喜びを語った。冨永昌敬監督は2002年水戸短編映像祭でグランプリ受賞以来、映画監督という職を得ることができたと感謝を述べ「水戸で上映できたことが嬉しい」語った。
水戸の印象について質問された三浦貴大さんは「一年の半分を茨城で過ごしているのではないか」というくらいロケでお世話になっているそうだ。また「東京は何でもあるが、使うのはごく一部、僕はインターネットがあればどこでもいい」と述べると冨永昌敬監督から「それ印象裏切るからやめたほうがいいよ」とつっこみが入り、会場を沸かせた。
冨永昌敬監督作品に出演を渇望していたという柳英里紗さんは「水戸短編映像祭で冨永監督と知り合えたことがきっかけで出演することができた、本当にファンとしてご一緒したい監督の一人だった」と水戸のおかげで夢が叶ったと語った。
盗撮でクビになった元教師を演じた川瀬陽太さんは「最近、もっとやばい先生がでてきちゃって、この映画の公開が危ぶまれるのではと心配している」と述べ会場の笑いを誘った。冨永昌敬監督に「インディー映画界の先生」と呼ばれ照れながらも「地方都市で起きてること、正直活気がない、実際にあることを描くこと、その重要さ、楽しさ」について言及すると、観客は大きくうなづきながら話に聞きいっていた。
冨永昌敬監督は水戸で見聞した話を盛り込んだことに触れ「原作は水戸市民」と語り、三浦貴大さんは「水戸に住みたい」と水戸に熱烈なラブコールを交えながら「まずは水戸の人、全員に観てほしい。そのくらいの気持ち。水戸からじんわりと火がついて全国に広がるといい」とヒットを祈願した。
水戸芸術館にはエキストラ出演者などの関係者が多数訪れ、大盛況の内に幕を閉じた。
観客の声として「水戸の鬱屈した精神を見事に描ききっている。同じ思いを世界中の地方都市が抱えているはずだ。だからこの映画は水戸映画であり、純粋な映画として多くの人が楽しめる映画になっていると思う」と語り、映画としての完成度に満足した様子だった。また冨永昌敬作品を初めて観たというエキストラ参加者は「バカばかりのなのだが、見ていると愛おしくなる。結局、俺たちは馬鹿だ。そういった悲哀と共に、生きること。それは人間の知恵かもしれない。人生を謳歌せよ。生き残ったら笑え。そう教えられた気がする」と語り、すっかり虜になっていた。終始和やかで雰囲気の良い完成披露試写会だった。水戸の映画を水戸の人が見るのだから、そうなってもおかしくはない。そんな家族パーティーのような時間が終わると、出演者たちと監督は満足そうに歓楽街・大工町へと消えて行った。
ここからは毛色を変えて、作品について述べます。なぜこの水戸芸術館という場所で試写会が行われたかというと、これが重要なのですが、ここしかなかったという訳ではなく、水戸芸術館とは、冨永昌敬監督が映画監督として出発した場所であり、水戸短編映像祭の会場であり、まさに水戸と冨永昌敬監督を結びつけるシンボル的存在だからです。何か重要なことが起こる場合、そこには記念碑的な場所があるものです。この映画が純然たる水戸発の映画である以上、この場所以外に考えられなかったと思います。この映画「ローリング」は水戸発映画として企画され制作されました。にも関わらずご当地映画に漂う胡散くささが皆無である代わりに、むしろ、胡散臭さ満点の歓楽街・大工町を舞台とする如何わしい映画なのです。なぜこんな映画制作が成立するのか。これは一つの事件であり、今年の日本映画を語る上で最も重要な部分であると考えます。2011年「サウダーヂ」以降、地方都市でこの手の映画が次々制作され話題を呼んでいますが、なぜこんな現象が起きているのか、分かる人がいるでしょうか。それは自由な創作の場所として、地方都市には理想的な条件が整っているからに他なりません。水戸はそのことに自覚的なのです。それに水戸という場所や、そこに集う有志たちは冨永昌敬監督に「地元PR」など押し付けませんでした。それが悪い結果を及ぼすことをよく知っているからです。むしろ冨永昌敬監督の方から「そうするべきなのでは?」と相談があり「そんな必要はない、自由にやってくれ」との話があったそうだです。驚くべきことではないでしょうか。その意味でこの映画は非常に幸福で豊かな映画製作の方法論を示していると言えます。
映画の構想を深めるために足を踏み入れた歓楽街・大工町に降り立った冨永昌敬監督は運命的な出会いを果たしたそうです。「目の前を走り去るおしぼり業者が目に止まった。それを見た瞬間、主人公はあいつだと思った」「あの頑張っている姿に強い印象を受けた。またあのあしぼり業者は、この町のいろんな部分を垣間見てるんじゃないか」さらに独自のリサーチにより今水戸で盛り上がりつつあるビジネスとしてソーラーパネルがあることを知り「大工町、おしぼり、ソーラーパネル、この3つを描くことで今の水戸を描くことになるのでは」と確信し、冨永昌敬監督は一気に脚本を書き上げました。
タイトルの「ローリング」は巻かれたタオルことおしぼりから着想されたもので「涙や血が染み込んだおしぼりは、冷酷にも洗われ、また次の日、別の人間の血や涙を拭く。汚れたおしぼりには物語がある」と語りました。この映画の冒頭、三浦貴大さん、柳英里紗さん、川瀬陽太さんが一同に会するシーンでは血に染まるおしぼりが描かれる。血に染まるおしぼりによって物語が始まります。ナレーションによって、彼らが元教師とその女、そして元生徒だと分かる。語り口は元教師だ。川瀬陽太さんによる鬱屈した素晴らしいナレーションが、のちに起こるであろう不吉な予感を漂わす。実際、その予感が物語のラストで明らかになる。必見である。僕は、このナレーションを聞いて、冨永昌敬監督の真骨頂であると感じると同時に、2013年この世を去った大島渚のことを思い出した。彼の死後、パリでは大規模なレトロスペクティブが企画されましたが、そうやって日本では誰が喪に服したでしょうか。日本では何が起きたのでしょうか。どんな影響があったのでしょう。しみじみと日本インディー映画が一応の終わりを迎えたなどとは言わないまでも、この年を境に日本映画は変革を強いられたかもしれないと言えるでしょうか。もし、そのことに自覚的であることのできる映画監督がいたとすれば、それは冨永昌敬をおいて他にいないのではないか、と思います。僕は恐れ多くもそのことを聞いてみました。
「大島渚は人の真似が大嫌いだ」と監督は言いました。「彼が死んでも生きてても自分の中で変わるものはない」そう断言し、大島渚への目配せを否定しつつも「セックスと犯罪」を描き続けた大島渚に言及することに留めて、僕の質問に答えてくれたのです。かつて映画館・新宿文化があり新宿の人間が「新宿泥棒日記」を求めたように、水戸には水戸芸術館があり、そこに集まる人間が「ローリング」を強烈に求め、実際に製作されました。共通点は何か?どちらも端的に言えば、場所があって、そして映画が生まれる、という単純な共通点があるに過ぎないのです。つまり、映画とはそもそも場所がなければ撮影することもできない。そんな単純なことで映画は成り立っているのです。本当のことを言えば、水戸は受け皿になる準備がある点で、創作に好条件だっただけなのかもしれません。だから、この映画をご当地映画として片付けるのは本末転倒なのです。
むしろ、そういった下らない創作スタイルに背を向けた無骨な映画として「ローリング」は存在しているのではないでしょうか。いや、やはり断言しますが、、映画「ローリング」はインディー映画の新たな幕開けなのです。そう解釈することができる文脈が、この映画には眠っているのです。
映画には場所が必要であり、水戸には自由な創作を行う理想的な条件が整っている。それは2002年から毎年のように水戸との交流を続けて頂いた冨永昌敬監督への水戸からの恩返しかもしれない。映画「ローリング」を境に映画監督が水戸にどっと押し寄せるかもしれない。事実、次は僕が水戸で映画を撮る。冨永昌敬監督がちゃんとそう書けよと言ってくれたので、そう書いて終わる。そして、水戸という文脈を作ってくれた冨永昌敬監督に感謝したい。
僕のは第2章だ。ローリングしていく。