映画 ローリング
映画「ローリング」試写会ルポ(The First Impression)

映画監督 鈴木洋平

冨永昌敬監督と鈴木洋平監督

【鈴木洋平監督プロフィール】
1984年茨城県日立市出身、水戸市在住。 多摩美術大学映像演劇学科卒業。 過去作は第 5回 CO2 オープンコンペ部門入選作『空気に殺される』や『素人アワー』『橋の下の葬儀』など、ニッポンコネクション2010にて特集上映された。 『もの、物、者、もののけ』は調布映画祭2012奨励賞、よなご映像フェスティバル入選。長編デビュー作「丸(OW)」が、2015年年3月、ニューヨークで開かれた映画祭「New Directors/New Films」で上映。日本人監督作品の上映は4年ぶりの快挙。この映画祭は、スティーブン・スピルバーグなど世界的な映画監督の処女作品を発掘したことで知られる。

写真は、水戸芸術館で立ち話に花が咲く、冨永昌敬監督(右)と鈴木洋平監督(左)

2015年4月11日、映画「ローリング」の完成披露試写会が水戸芸術館で開催され、主演の三浦貴大さん、柳英里紗さん、川瀬陽太さん、冨永昌敬監督が登壇し、公開の喜びを語った。冨永昌敬監督は2002年水戸短編映像祭でグランプリ受賞以来、映画監督という職を得ることができたと感謝を述べ「水戸で上映できたことが嬉しい」語った。

戸の印象について質問された三浦貴大さんは「一年の半分を茨城で過ごしているのではないか」というくらいロケでお世話になっているそうだ。また「東京は何でもあるが、使うのはごく一部、僕はインターネットがあればどこでもいい」と述べると冨永昌敬監督から「それ印象裏切るからやめたほうがいいよ」とつっこみが入り、会場を沸かせた。

永昌敬監督作品に出演を渇望していたという柳英里紗さんは「水戸短編映像祭で冨永監督と知り合えたことがきっかけで出演することができた、本当にファンとしてご一緒したい監督の一人だった」と水戸のおかげで夢が叶ったと語った。

撮でクビになった元教師を演じた川瀬陽太さんは「最近、もっとやばい先生がでてきちゃって、この映画の公開が危ぶまれるのではと心配している」と述べ会場の笑いを誘った。冨永昌敬監督に「インディー映画界の先生」と呼ばれ照れながらも「地方都市で起きてること、正直活気がない、実際にあることを描くこと、その重要さ、楽しさ」について言及すると、観客は大きくうなづきながら話に聞きいっていた。

永昌敬監督は水戸で見聞した話を盛り込んだことに触れ「原作は水戸市民」と語り、三浦貴大さんは「水戸に住みたい」と水戸に熱烈なラブコールを交えながら「まずは水戸の人、全員に観てほしい。そのくらいの気持ち。水戸からじんわりと火がついて全国に広がるといい」とヒットを祈願した。

会場の様子

戸芸術館にはエキストラ出演者などの関係者が多数訪れ、大盛況の内に幕を閉じた。

客の声として「水戸の鬱屈した精神を見事に描ききっている。同じ思いを世界中の地方都市が抱えているはずだ。だからこの映画は水戸映画であり、純粋な映画として多くの人が楽しめる映画になっていると思う」と語り、映画としての完成度に満足した様子だった。また冨永昌敬作品を初めて観たというエキストラ参加者は「バカばかりのなのだが、見ていると愛おしくなる。結局、俺たちは馬鹿だ。そういった悲哀と共に、生きること。それは人間の知恵かもしれない。人生を謳歌せよ。生き残ったら笑え。そう教えられた気がする」と語り、すっかり虜になっていた。終始和やかで雰囲気の良い完成披露試写会だった。水戸の映画を水戸の人が見るのだから、そうなってもおかしくはない。そんな家族パーティーのような時間が終わると、出演者たちと監督は満足そうに歓楽街・大工町へと消えて行った。

記者のリクエストに応え、ローリングのロゴ入りおしぼりで記念写真

こからは毛色を変えて、作品について述べます。なぜこの水戸芸術館という場所で試写会が行われたかというと、これが重要なのですが、ここしかなかったという訳ではなく、水戸芸術館とは、冨永昌敬監督が映画監督として出発した場所であり、水戸短編映像祭の会場であり、まさに水戸と冨永昌敬監督を結びつけるシンボル的存在だからです。何か重要なことが起こる場合、そこには記念碑的な場所があるものです。この映画が純然たる水戸発の映画である以上、この場所以外に考えられなかったと思います。この映画「ローリング」は水戸発映画として企画され制作されました。にも関わらずご当地映画に漂う胡散くささが皆無である代わりに、むしろ、胡散臭さ満点の歓楽街・大工町を舞台とする如何わしい映画なのです。なぜこんな映画制作が成立するのか。これは一つの事件であり、今年の日本映画を語る上で最も重要な部分であると考えます。2011年「サウダーヂ」以降、地方都市でこの手の映画が次々制作され話題を呼んでいますが、なぜこんな現象が起きているのか、分かる人がいるでしょうか。それは自由な創作の場所として、地方都市には理想的な条件が整っているからに他なりません。水戸はそのことに自覚的なのです。それに水戸という場所や、そこに集う有志たちは冨永昌敬監督に「地元PR」など押し付けませんでした。それが悪い結果を及ぼすことをよく知っているからです。むしろ冨永昌敬監督の方から「そうするべきなのでは?」と相談があり「そんな必要はない、自由にやってくれ」との話があったそうだです。驚くべきことではないでしょうか。その意味でこの映画は非常に幸福で豊かな映画製作の方法論を示していると言えます。

画の構想を深めるために足を踏み入れた歓楽街・大工町に降り立った冨永昌敬監督は運命的な出会いを果たしたそうです。「目の前を走り去るおしぼり業者が目に止まった。それを見た瞬間、主人公はあいつだと思った」「あの頑張っている姿に強い印象を受けた。またあのあしぼり業者は、この町のいろんな部分を垣間見てるんじゃないか」さらに独自のリサーチにより今水戸で盛り上がりつつあるビジネスとしてソーラーパネルがあることを知り「大工町、おしぼり、ソーラーパネル、この3つを描くことで今の水戸を描くことになるのでは」と確信し、冨永昌敬監督は一気に脚本を書き上げました。

イトルの「ローリング」は巻かれたタオルことおしぼりから着想されたもので「涙や血が染み込んだおしぼりは、冷酷にも洗われ、また次の日、別の人間の血や涙を拭く。汚れたおしぼりには物語がある」と語りました。この映画の冒頭、三浦貴大さん、柳英里紗さん、川瀬陽太さんが一同に会するシーンでは血に染まるおしぼりが描かれる。血に染まるおしぼりによって物語が始まります。ナレーションによって、彼らが元教師とその女、そして元生徒だと分かる。語り口は元教師だ。川瀬陽太さんによる鬱屈した素晴らしいナレーションが、のちに起こるであろう不吉な予感を漂わす。実際、その予感が物語のラストで明らかになる。必見である。僕は、このナレーションを聞いて、冨永昌敬監督の真骨頂であると感じると同時に、2013年この世を去った大島渚のことを思い出した。彼の死後、パリでは大規模なレトロスペクティブが企画されましたが、そうやって日本では誰が喪に服したでしょうか。日本では何が起きたのでしょうか。どんな影響があったのでしょう。しみじみと日本インディー映画が一応の終わりを迎えたなどとは言わないまでも、この年を境に日本映画は変革を強いられたかもしれないと言えるでしょうか。もし、そのことに自覚的であることのできる映画監督がいたとすれば、それは冨永昌敬をおいて他にいないのではないか、と思います。僕は恐れ多くもそのことを聞いてみました。

大島渚は人の真似が大嫌いだ」と監督は言いました。「彼が死んでも生きてても自分の中で変わるものはない」そう断言し、大島渚への目配せを否定しつつも「セックスと犯罪」を描き続けた大島渚に言及することに留めて、僕の質問に答えてくれたのです。かつて映画館・新宿文化があり新宿の人間が「新宿泥棒日記」を求めたように、水戸には水戸芸術館があり、そこに集まる人間が「ローリング」を強烈に求め、実際に製作されました。共通点は何か?どちらも端的に言えば、場所があって、そして映画が生まれる、という単純な共通点があるに過ぎないのです。つまり、映画とはそもそも場所がなければ撮影することもできない。そんな単純なことで映画は成り立っているのです。本当のことを言えば、水戸は受け皿になる準備がある点で、創作に好条件だっただけなのかもしれません。だから、この映画をご当地映画として片付けるのは本末転倒なのです。

しろ、そういった下らない創作スタイルに背を向けた無骨な映画として「ローリング」は存在しているのではないでしょうか。いや、やはり断言しますが、、映画「ローリング」はインディー映画の新たな幕開けなのです。そう解釈することができる文脈が、この映画には眠っているのです。

画には場所が必要であり、水戸には自由な創作を行う理想的な条件が整っている。それは2002年から毎年のように水戸との交流を続けて頂いた冨永昌敬監督への水戸からの恩返しかもしれない。映画「ローリング」を境に映画監督が水戸にどっと押し寄せるかもしれない。事実、次は僕が水戸で映画を撮る。冨永昌敬監督がちゃんとそう書けよと言ってくれたので、そう書いて終わる。そして、水戸という文脈を作ってくれた冨永昌敬監督に感謝したい。

僕のは第2章だ。ローリングしていく。

映画ローリング公式サイト

監督/脚本:冨永 昌敬 (とみなが まさのり)
1975 年、愛媛県生まれ。1999年、日本大学藝術学部映画学科卒業。卒業制作『ドルメン』が2000年のオーバーハウゼン国際短編映画祭にて審査員奨励賞を受賞。 続く『ビクーニャ』が02年の水戸短編映像祭グランプリを獲得。以後、実験的ホームメイド映画『亀虫』(03)、実験的リバーシブル映画『シャーリー・テンプル・ジャポン part2』(05)などが劇場公開され、短編映画作家としての地歩を固める。2006 年には、 主演にオダギリジョーと香椎由宇を、音楽に菊地成孔を迎えた『パビリオン山椒魚』 にて劇場用長編映画に進出。以後のおもな監督作品は『コンナオトナノオンナノコ』(07)、『シャーリーの好色人生と転落人生』(08)、『パンドラの匣』(09)、『乱暴と待機』『庭にお願い』(10)、『ア トムの足音が聞こえる』『目を閉じてギラギラ』(11)など。2015 年待望のオリジナル脚本作品『ローリング』が 公開。

三浦 貴大 (みうら・たかひろ)
1985年東京都生まれ。2010年、映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』(錦織良成監督)でデビュー。同作で第34回日本アカデミー賞新人俳優賞と第35回報知映画賞新人賞を受賞。主な出演作に『学校をつくろう』(11 神山征二郎監督)、『麒麟の翼~劇場版・新参者~』(12 土井裕泰監督)、『わが母の記』(12 原田眞人監督)、『あなたへ』(12 降旗 康男監督)、『キッズリターン再会の時』(13 清水浩監督)、『許されざる者』 (13 李相日監督)、『永遠の0』(13 山崎貴監督)、『リトル・フォレスト 夏・秋編』(14 森淳一監督)、『太陽の坐る場所』(14 矢崎仁司監督)など。2015 年公開作品には『ローリング』のほか、『繕い裁つ人』(三島有紀子監督)、『リトル・フォレスト 冬・春編』(森 淳一監督)、『マンガ肉と僕』(杉野希妃監督)、『種まく旅人~くにうみの郷~』(篠原哲雄監督)、『進撃の巨人』(樋口 真嗣監督)などがある。

川瀬 陽太 (かわせ・ようた)
1969年札幌市生まれ。高校卒業後デザイン関係の仕事に就くために桑沢デザイン研究所へ入学。卒業後、主に映像関係の仕事を経て俳優に転身。当初、自主制作映画の助監督の仕事を中心に活動していたが、たまたま 参加していた福居ショウジン監督の自主映画『RUBBERʼS LOVER』が資金的 な行き詰まり状態になり、監督から主演を命じられたことが役者への転身のきっかけとなる。結局この作品がそのままデビュー作となる。この後、福間健二監督の『急にたどりついてしまう』に出演。この映画の制作に参加していたスタッフの多くがたまたまピンク映画出身であったため、瀬々敬久監督をはじめとしたピンク映画の関係者と交流を深め、その後多くのピンク作品に参加するきっかけとなる。現在は一般映画やテレビ分野へ進出し、その個性的な演技で注目を集めている。映画作品では瀬々敬久監督とのコンビが有名。

音楽:渡邊 琢磨(わたなべ・たくま)
1975年仙台市出身。高校卒業後米国へ留学、作曲を学ぶ。帰国後、COMBOPIANO名義で活動を開始。その後、NYに渡り鬼才プロデューサー、キップ・ハンラハンとの共同制作でアルバムを次々とリリースし、イギリスの音楽専門誌「WIRE」をはじめとする様々なメディアで高い評価を受ける。以降、国内外のアーティストと多岐に渡り音楽制作等行う。2004年内田也哉子、鈴木正人(Little Creatures)とsigh boatを結成。2007年デヴィッド・シルヴィアンのワールドツアー18カ国30公演にピアニストとして参加。2008年内橋和久(gt)、千住宗臣(ds)とCOMBOPIANOをバンドとして再編。2014年1月に本人名義としては6年ぶりとなるニューアルバム「Ansiktet」をリリース。ソロやバンド活動以外にも国内外の映画音楽、劇伴などを多数手掛け、俳優・染谷将太が監督・脚本を手掛けた映画『シミラーバットディファレント』の音楽も担当。

【クラウドファンディング情報】
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【サウンドトラック配信リリース情報】
最終日のスペシャルライブもある渡邊琢磨による映画『ローリング』のオリジナルサウンドトラックがiTunes StoreやOTOTOYなどで配信リリース中です!
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【関連リンク】
樋口尚文の千夜千本 第32夜「ローリング」(冨永昌敬監督)
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